武田流について
武田流合氣之術
現在当流派で行われている合氣道は、武田流合氣之術の流れを現在に受け継いで
いるものです。
そもそも合氣之術は、日本古来の武術で太祖を日本武尊、始祖を新羅三郎源義光
とし、甲斐の国武田家に代々伝えられ、門外不出の技とされていた武術です。景行
天皇の皇子日本武尊が熊襲征伐に行く途路、筑前の神代の滝で"禊の行"をとり自得し
た技法に始まるともされています。 日本武尊は、これを一子武田王命に宮廷守護
の武術として伝え、後に清和天皇の第六王子貞純親王から長子経基を経て源氏へと伝
承されてきました。その後さらにこの武術に新羅三郎源義光が、実戦をもとに研究改
良し、義光のの第ニ子義清が甲斐に武田姓を名乗った折、家伝武術として授けたもの
でした。 この後に武田流合氣之術は、天文10年、武田信虎がその子、武田信玄に
追いつめられた時に、駿河の今川義元を頼った際、信友の長男、武田勝千代に伝授、
後に勝千代が九州に渡った折り、筑前黒田家の食客となり、同地に秘伝を伝え、密か
に継承されてきたものと言われています。
第41世武田忠勝宗家の代に、その当時九州博多に拠点を置いて活動していた玄洋
社の壮士らが修練する武術として取り入れたのを機に再び世に出ることになり、第42
世中村吉翁宗家、そしてその元に入門し、その後第43世宗家となった大庭一翁氏の時
に“合氣之術”とも“武田流合氣”と称し、世の中にも知られるようにになりました。
またこうした経緯を得ているためか第42世中村宗家のもと大庭宗家と一緒に稽古をさ
れていた方々の中には、"内田良平"氏、"中野正剛"氏、"宮川一貫"氏といった、明治
から昭和初期といった激動の時代に生き抜いてきた政治家の面々の名前も見られます。
彼らは柔道にも精通しており、内田良平氏は、福岡の地に講道館柔道を広めた人とし
ても有名。そうしたつながりもあったためか、中村宗家の元には様々な武道家が出入
りしていたといいます。
武芸流派大事典(綿谷雪他編)によると、その当時、第43世の大庭宗家は、武田流
とは別に、他にも九鬼神流、方円流、神刀流の免許も受けていらっしゃったようです。

武田流合氣之術系譜
武田流合気の系譜の資料として残っているものが比較的少ないため、集めうる資料
をもとに系譜を整理してみました。 (参考資料: 武芸流派大辞典/S44.5.15/新人
物往来社発行 ほか)

*「第〜世」という表記はあくまでも資料に基づいていますが、
上記の表では途中名前などが一部抜けており完全なものではないため、必ずしもその数
値どおりに表記されているわけではありませんので、予めご了承願います。

武田流中村派と武田流合氣之術
武田流中村派は、武田流合氣之術を現代に受け継ぐ流派です。現在の宗家、私の先
生である中村久先生が、戦後程ない昭和25年に北九州市小倉区にあった第43世大庭一翁
宗家の道場に入門、外弟子3年を経て内弟子になったそうです。当時の宗家大庭先生は
武道振興のため東京にも進出しており、世田谷区松原町で武田流本部道場「聖武殿」を
設立しておられました。昭和31年の秋、聖武殿の当時の師範代であった森本師範が、家
庭の事情で帰省を余儀なくされ、変わって現在の武田流中村派中村久宗家が派遣された
そうです。しかし数年後大庭宗家が他界したのを機に、当時の聖武殿もついには落日を
迎えることとなったようです。
こうした折、何とか武田流の火を消すまいと昭和36年に、当時師範代であった中村
宗家は新宿の柔道場を借り、武田流再建に向けて活動を再開。同年12月に立教大学に
合氣道同好会が誕生、そして翌年5月には日本大学合氣道同好会も誕生し、現在の中村
派の流派としての形が整い出しました。 昭和38年には、立教大学と日本大学の合
氣道同好会を中心に「日本合氣道連盟」を設立、現在こそいろいろと見られるようにな
っていますが、昭和39年には、当時としては全く異例とも言える試合形式を取り入れた
第1回合氣道優勝大会を開催するまでに至りました。以来続いていた合氣道大会も40回
を越え、昨年(2004年)には第41回を数えるに至りました。
現在、合氣道を中心に、居合道、柔拳法、杖道などが各道場及び各団体で行われて
います。変わったところでは、手裏剣術や手木術などといったものもあります。当流派
の特徴は、合氣道だけでなく、柔拳法をはじめ居合道や杖道などにも試合があることで
す。昇段審査も、まず試合によって、勝ち点を得て、勝ち点及び試合への参加点が規定
に達して初めて、型の審査を受験できるという方法をとっています。合気道の場合には、
試合方法も綜合乱取試合と捕技乱取試合の二つの方法があり、受験者が選択するように
なっています。
当流派の試合について
当流派の大きな特徴は「試合」にあります。合気道だけでなく、居合道や柔拳法、
杖道などで試合が行われています。試合のいいところは理に適った技の習得が可能なこ
とでしょう。また悪いところはどうしても強引に力づくになりがちなところでもありま
す。試合の実施については賛否両論あるのでしょうけど、当流派では形審査だけでは、
どうしても形にこだわりすぎて理に適った技の習得ができないなどという点から試合を
実施しています。もちろん試合があっても形審査は別に行われていますので、試合だけ
できても形審査もパスしないと段の取得は不可能となっています。
<試合方法>
合気道 綜合乱取試合
打ち甲手という皮製のサポーターを手にはめて、互いに手刀により打ち合います。
相手の正面・左右面・左右胴への打撃により相手の隙を突いて如何に有効な打ちによる
攻撃ができているかにより、技ありあるいは1本などによりポイントをとるか、あるいは
相手の打ちを交わして投げ技でポイントをとっていきます。打ち技あるいは投げ技で自
分の体制が崩れた場合は、「技あり」となり、この技ありを2本とるか、自分の体制が
崩れることなく相手を投げるかあるいは打ち技により相手にダメージをあたえた場合に
は、「一本」として勝ちをうることができます。
捕技乱取試合
相手の打ち・捕り・突き・蹴りによる攻撃に対して、当流派で制定している技を的
確に繰り出し相手に応戦していきます。双方ともに捕り(投げる側)と受け(攻 める
側)を行い、技の正確さ、技の流れ、相手の攻撃に対する受けなどを審判による総合的
な判定により勝負を決定する形試合です。
居合道 組抜刀試合
遠間で互いに相手を切りあう試合です。切り付け及び切り技の正確さ速さで勝負を
決めます。1試合は、納刀試合、指定専攻型試合、抜刀試合を全部で7回行います。ま
た大会などではこれとは別に、既定・自由形試合や真剣を使用し、所定の時間以内に巻
藁を斬る抜刀斬試合も行われています。
柔拳法 組手乱取試合
足及び手にサポーターをつけ、突きや蹴り、そして投げ技により勝負します。上中下
段の突きや蹴りにより相手にダメージを与えうる攻撃ができたとき(一応ルール上では
触れる程度に当てことになっています)、あるいは投げ技により相手を投げ、背面から
倒れた場合などに「技あり」となり、この技ありが2本で「一本」となります。もちろ
ん的確な投げ技などにより自分の体制が崩れず相手を投げたり、突きや蹴りにより相手
が呼吸困難になり試合に速応できない場合、下段の払い蹴りにより前後左右に転倒させ
た場合そして関節技や締め技などにより相手がマイッタをした場合など「一本」となる
こともあります。上段への攻撃については、横拳や 裏拳、突き拳などは技として認めら
れていますが、上段(首より上)への蹴り技は反則となります。
杖道 組杖乱捕試合
竹杖という当流派独自の竹刀と同じ素材を利用したものを綿の袋に収めたものを利用
し、小手にのみ防具を使用して互いに打ちおよび投げで相手からポイントを取って競いま
す。打ち技については、正面・左右面・左右胴・小手・中/上段突による攻撃および投げ
技(基本的には合気道と同じ)により攻撃します。1本および技ありの基準は他の競技と
同様です。得物(竹杖)を持って攻撃をしあうという点で、他の競技以上に、投げだけの
ために安易に間合いを詰めることは合気道や拳法以上に危険をともない、間合いの重要性
が問われる競技の1つでもあります。
捕杖乱取試合
組杖という樫杖を使用して、捕り手の構えに応じて受けが攻撃を仕掛け、それにあわ
せて投げ技を繰り出していきます。合気道の捕技乱取と同じ形式になります。ただし合気
道と同様の技もあれば、杖ならでわの投技・抑技も多数あります。
* ここで使用した写真は現在の本部道場のものです

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